昭和5年に、京都壬生で初代当主である山元光が創業しました。一般の呉服の染めとは一線を画し、役者や踊りのお師匠さんなどの「プロ」が身につけ、パフォーマンスをするための衣裳に特化し、デザイン、染めから仕立てまで、一貫で制作してきました。お客様のご要望に応えるための「創造力」を鍛え続けて、これまでに培ったノウハウを現在は四代目の山元宏泰が引き継ぎ営業させていただいております。10万枚を超える型紙、染め巻見本、柄見本帳など、舞台衣裳専門だからこそのデザインを蓄積しています。
9歳の山元光が京都の染屋に丁稚奉公に行き、大人になり独立することになりました。その時の親戚の声かけをきっかけに、映画や舞台の衣裳を専門とする染屋をスタートさせました。その時代は、京福電鉄沿線には多くの撮影所が点在しており、丁稚先も近かったことから壬生で創業したそうです。その後、映画だけでなく、テーマパークや劇団の時代物衣裳を多く制作してきました。どの衣裳も必ずと言っていいほど違うデザインであり、用途もそれぞれです。一つ一つの仕事が、全て新しい挑戦であることが、山元染工場の仕事の特徴です。
舞台衣装制作について2016年4月、ケイコロールは京都壬生ではじまりました。
昭和5年の創業から山元染工場が培ってきた
型友禅の高い技術・色あせないデザインと、
山元桂子の感性が出会うことで生まれたオリジナルの染物です。
創業者山元光が京都壬生で映画や舞台の衣裳を専門とする染屋を始める。
当時は職人やお手伝いさんなどが10人以上おり、絵師や日本画家もよく出入りし、図案を描いていた。
東映の映画用時代物衣裳を多く制作。
ふたば衣裳が扱う美空ひばりなど有名俳優の映画に当工場の衣裳が多く使われるようになる。
二代目山元正光のもとに久仁子が嫁入り。その一年後には光の妻が亡くなる。
久仁子は、工場で職人として光とともに働き、また山元染工場の女将としての役割も懸命にこなす。
二代目山元正光が事業継承。
工場の老朽化に加え、作業効率アップのため、工場を大幅に改装。光から継承した技術を駆使し、
祭りやテーマパークなど多くの衣裳を制作。
この頃、創業者山元光と二代目山元正光が一年違いで相次いで亡くなる。
山元久仁子が三代目として、急遽事業を継承する。後に四代目となる山元宏泰が事業に参画。
山元桂子が嫁入り。四年後、宏泰が四代目として事業を継承。
七年後、桂子がテキスタイルブランド「ケイコロール」を立ち上げる。
山元染工場は、新撰組で有名な壬生寺の近くにございます。この歴史ある土地で、伝統的でありながらも新しい技術を持って制作し続けてきました。四条通りにも近く、五条通りにも近く、京福電鉄や阪急電鉄、JR鉄道いずれの沿線も近く、便利でありながら京都らしい趣のある環境の中で仕事をさせていただいています。不定期ではありますが、ワークショップを行うこともあります。
山元染工場 :〒604-8823 京都市中京区壬生松原町9-6